震度5強のち、家を目指した話(後編)

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森下から歩き出したときには既に12日となっていました。
てくてくと歩く道には多くの家を目指してあるく人々がおりました。
町のお店のシャッターには「寒い中ご苦労様です!」と激励が書かれていたり、閉店しながらもトイレを貸しているお店など、東京も捨てたものではないなという気持ちになりました。

江東区を抜け、江戸川区を歩き続けると、とうとう自分の前後にあるく人影はなくなっていきました。
さすがに心細くなり、都営新宿線の一之江駅に差し掛かったとき、再度電車に乗ることにしました。
既に2時になろうとしていました。
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震度5強のち、家を目指した話(中編)

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23時をすぎたころ私はとうとう会社を出発しました。
都営大江戸線、そして都営新宿線の運転再開が決めてとなりました。

実際にはこの時点で政府からの職場待機を勧める案内が出ていました。本来なら会社をでるべきではなかったのでしょう。
でも、既にいてもたってもいられなくなっていたのです。理性と行動が伴わないことというのはほんとにあるんですね…。
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震度5強のち、家を目指した話(前編)

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3/11 14:46
おそらく忘れられない一日の一つが幕を開けました。
私にとってこの地震は、今までに体験したことのない大きなものでした。
被災地ではまだまだ被害の全貌はつかめず、被災された方は不安な夜を送っているものと思います。
心配でなりません。ただ助けは必ず来ることを忘れないでください。
日本は決して被災地を見捨てません。

今回は地震が起こってから帰宅するまでの顛末を記しておこうかと思います。
備忘録として、また自戒の念も込めて。

そのとき、私は職場におりました。
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今日で阪神・淡路大震災から14年。

もう14年ですか。
おいらは当時まだ小学生で、ただただテレビの中で起こる事実を見つめていました。

1995年1月17日午前5時46分52秒に発生した大地震、それが「阪神・淡路大震災」です。

この大地震が発生した直後のNHKの第一報、さらにその後、夜が明けるにつれて少しずつ判明していく被害の実態、関東ではあっという間に特番体制からCM放送ありの通常放送に移行したものの、関西ではその後も延々と地震関連情報が流され続けていたこと、そのときのACのCM、世界中で報道されたNHK神戸放送局で地震に見舞われた男性のその後、さらには淡々と流れ続ける当時の状況を記録したラッシュテープなど、いろいろと集めてみました。

引用元: あの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集 – GIGAZINE.

どうしても災害の怖さは、時間がたつと忘れてしまうもの。亡くなった人々のご冥福を祈る意味でも、ムービーを観て身を引き締めましょう。

地震イツモノート―阪神・淡路大震災の被災者167人にきいたキモチの防災マニュアル