震度5強のち、家を目指した話(前編)

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3/11 14:46
おそらく忘れられない一日の一つが幕を開けました。
私にとってこの地震は、今までに体験したことのない大きなものでした。
被災地ではまだまだ被害の全貌はつかめず、被災された方は不安な夜を送っているものと思います。
心配でなりません。ただ助けは必ず来ることを忘れないでください。
日本は決して被災地を見捨てません。

今回は地震が起こってから帰宅するまでの顛末を記しておこうかと思います。
備忘録として、また自戒の念も込めて。

そのとき、私は職場におりました。

最初は数人の同僚が揺れていることに気づき始めました。高層ビルで地震が起こるとそれなりに揺れることが多かったので最初はみんな笑っていたのですが。
地震が終わらないのです。
だんだんひきつった笑いになっていき…
グワッ
と何ともいえない音がして激しく揺れ始めました。
すごい揺れでした。かなり怖かったです。
震度5強
しばらく激しい揺れが続いて…。止まるのにどれくらいかかったのか。覚えていません。

地震がおさまると、誰となくテレビをつけ始め情報収集がはじまりました。
システムの稼働チェックや安否確認等も行われました。その最中も余震が頻発し、その度にざわめき、自分を鼓舞する意味があるのでしょう、ひきつった笑い声が聞こえました。
だんだんと災害の情報が増えてくるにつれ、みな仕事に手がつかなくなり始めました。
あっという間に業務終了時刻となり、それぞれの方面に向けて、徒歩帰宅を行うチームが編成されました。

私は残りました。
家族と一切の連絡がとれていなかったのです。電話は携帯も固定も、私の家族や家には一切繋がりませんでした。携帯メールも一切送信できません。受信も来ません。
焦りました。だって、同僚は辛うじて連絡がついている人が多かったですから。
私は考えました。
少なくとも会社にいれば家族からの連絡は受けとれる。そして、千葉方面に連絡がとれないことから、何か起こっているに違いないと感じ、とても進む気にはなれませんでした。

出発していく同僚を何組も見送りました。そして、私は家族の連絡を待ちました。

そして夜も更けた21:42、とうとう妹より電話が来ました。
無事でした。
地域一帯が停電しており、該当や信号も動いていない。そして、水やガスもきていないと。やっつきばやに妹は報告してきました。
デイサービスに行っていた父は、停電と携帯電話の繋がり難さの影響で施設の人と連絡がとれなかった。でもさっき施設と連絡がとれ今晩は預かってくれると。
最後に猫は怯えて押入れから出てこないが、無事を確認したと。
私は安心しました。

そして、同時に朝になる前に帰宅しなくては、と強く感じるようになりました。
何故なのかは今となってもわかりません。
いかねばならないと思ってしまったのです。

私は夜食を頬張りつつ、復旧し始めた都内交通の状況を確認し、Google マップにて帰宅ルートを検討し始めました。

中編へ続く。

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